Aussie3816のブログ

140字で分割するのが煩わしくなったので。

昔の友人から久々に突然の連絡

 先日夕食を食べ終えて自室でくつろいでいるとスマホからLINEの通知が鳴った。見てみると、「久しぶり!今どこ 何してる?」のようなことが書いてあった。よくよく見てみると、ここ数年全く連絡をとっていなかった昔の友人からだった。質問の意図が読めなかったので「久しぶり。いきなりどうしたの」と返すと、こともなげに「いやいや、質問に答えてくれ」と。

 以前こそ仲の良い間柄ではあったものの密に連絡を取らなくなって数年経過しており、突然過ぎてややムッと感じたので「せっかくの久しぶりの連絡にそんな意味不明な言い方は何だ。そちらこそ今どこでどうしているか先に言うべきではないか(実際はもっと柔らかい文面)と送った。すると画像が一枚送られてきて、以前同様に仲良かった友人とLINEの送り主の2人の自撮り写真であった。居酒屋の席で楽しそうにしており、どうも昔の友人同士数人で同窓会をしているようだった。そして矢継ぎ早に「今から〇〇(友人の地元。私の自宅からは電車で20分ほど)まで出てきてくれよ(笑)*1と。一緒に飲もうということだと思われたが、結果から言うと行かなかった。彼の”親切な”お誘いに私がどう返したかというと「せっかくなら最初から声をかけてほしかった。久々の連絡なのに。(実際はもっと柔らかい文面)」であった*2

 断っておくと私は何でもかんでも人からの誘いを突っぱねているわけではない。今回の件にしても彼ともう何年も連絡を取っておらず本当に何処で何をしているかお互いに知らない状態だったので、他の友人らも含めて旧交を温めたいと思ったのは紛れもない事実である。移動時間と距離も面倒になるほど大きいわけでもなかった。しかし今回は相手の態度が私の”カチンセンサー”に引っかかってしまったのだ。

 相手に送った文面通り、誘うなら事前に正式なメンツとして通達してほしかったのである。飲みの席の途中でそこに居ない誰かを途中から呼ぼう、という文化が世の中にあるのは知っている。それは往々にしてその場の話の流れから突発的に始まることだし、それで途中から呼ばれて喜んで馳せ参じる人間がいることも理解する。しかし、今回私はそうして呼ばれても嬉しくなかった。彼らにとって私が本当に昔を懐かしみたいような相手だったなら、友人同士で集まった時点で私の話題が出るのではないか?彼らにとって私は所詮途中から思いつきで呼びつける程度の存在だったのだ、と私は思ってしまったのである。彼らの内心は確かめようもないし結局こちらの受け取り方次第でしかないのだが、その時の私は彼らを大事に思えなかったのである。*3

 あと単純に私がいきなりその日一日のスケジュールを変えたくない性格だということも付け加えなければならない。食事だけでなく、どこかに行こう、出かけて何かしようと提案されるのは当日であってほしくない。自分の頭のなかに長期中期短期それぞれにスケジュールとタスク管理があって、その感覚に基づいて今目の前で何をするかを決めているつもりなので、他人からの提案がいきなりであればあるほど私の心理的ストレスは大きいのである。できれば私に対するあらゆる”お誘い”は1~2週間の猶予を与えて欲しいものである。世間はもっとフレキシブルに対応するしそうして世界は目まぐるしく変化していってるしその中で暮らしている以上自分もそこに適応すべきであろうが少なくとも得意ではない。そう言いつつも夕方頃になってから友人を自分から食事に誘ったことはあるので矛盾しているのだが、あくまで自分の精神的な余裕、キャパシティに由来する行動なので常にそうではないのである。私に直接面識のある皆様には多大な迷惑をかけるし努めてそうならないようにするが、一応分かっておいて欲しい。すみません。

*1:一般的にこの(笑)という記号が持つ役割は発話のカジュアルさ、楽しさの表現に過ぎないし実際彼も特に深い意味があってこれを付与したわけではないだろう。しかし私はネット空間におけるある種のコミュニケーションプロトコルに毒されすぎていてもうこの記号を見るとバカにされているようにしか感じられなくなっている。この記号の存在がこの時の私の感情にトドメを刺した。

*2:相手とのやり取りは私のこのメッセージを最後に途切れている。つくづく失礼なヤツだ。

*3:連絡を受けたとき既に家族との食事が終わっていて、自分としては珍しく飲酒していたことが総合的に当時の自分の感情に影響していた可能性は大いにある。ただ本当に行きたいと思ったのであれば、「もう食事済ませてしまった、ごめん」くらい言ったと思う。